2007年 09月 13日
かみなりと犬 |
子どものころ。
両親ともに働いていたから、
夕方をひとりで過ごすことが多かった。
母親の帰りが遅く、
雨降りで、かみなりが鳴ったりすると、
飼っていた小さな犬にしがみついて通り過ぎるのを待った。
そんな日の家の中は、
記憶の中では真っ暗で、
蛍光灯の白い灯りが雨に濡れた窓の中で、小さく滲みながら光っている。
時おり窓の外が青白く光る。
その犬が家にやってきたのは、
わたしが幼稚園に通っていたころだった。
彼には多くのやさしさを教わった。
自分がどんなに眠たいときでも、
わたしが構ってほしくて近づくと、
いつだって受け入れてくれた。
何の躊躇もなくあお向けに足を開いて。
そんなときの彼の表情は少し笑っている。
食事中でも、
寝ているところを起こされても。
決して拒絶することはなかった。
人見知りだったわたしが慣れない親戚の大人たちに囲まれていても、
彼を抱いて耳元に顔を近づけていれば安心して座っていられた。
離れると、そわそわと落ち着きがなくなり、
じっとしてはいられなくなる。
泣きそうになるのをこらえながら母親のもとへ走る。
家に来る前、
彼は見知らぬ人に飼われていた。
「かわいそうだったんだよ、」
と母親は言う。
その話を聞き、幾度となくその部屋を想像した。
昼だというのに閉めきられた重いカーテン。
すき間からは光が漏れ、
ほこりっぽい部屋の中をうっすらと照らす。
ごたごたと散らかったテーブルの下で、
怯えるように目を光らせて。
実際には見たことのないその部屋の中で、
ひっそりと、息をしていた。
悲しみが多いほどやさしくなれるのは、
人も動物も同じなのかもしれない。
彼に出会わなかったらわたしは、
もっとひねくれたおとなに成長していたことだろう。
彼にはキスだってしたし、
茶色の短くてやわらかい毛がうっすら生えた冷たい耳を、
優しく噛んであげたこともある。
足の匂いを嗅ぐことだって平気だった。
むしろ金色の毛のすき間からのぞく、
かさかさとした小さな黒い肉球に、
好んで鼻を近づけた。
そのすべてが愛おしく、
小さなわたしには頼もしかった。
幼くて孤独だったわたしの、
いちばんのともだち。
by amatsubu
| 2007-09-13 00:00